視野を広く持ち周辺も眺める~視覚も思考も~

集中していること以外への配慮不足

街中を歩いていると、スマホなどに集中し、周りを意識せずに歩いている方を見かけることがあります。
それと同時に、ものの見方・考え方も、短いメッセージには集中するものの、その背景や理由に対する関心を持つ機会が減少しているように感じます。
これらは、別の事象ですが、何かつながりがあるように感じられてなりません。

周りを気にしない街歩き

街中を歩いていますと、急に横に動いたり立ち止まったりする方を見かけることがあります。
急に人が前に現れますとぶつかりそうになります。
自分の後ろに続く人がいれば、何人もに影響が及びます。

スマホを見ながら何かを探していたり、待ち合わせた友人を見付けそこに一直線に向かったりします。
また、エスカレーターの乗り口で集まってきょろきょろしている方を見かけることもあります。
エスカレーターの乗り口であることに気付いていれば、そこで止まることはないと思いますが、多分気付いていないのだと思います。

自分の行動を振り返りますと、何かに集中していると、他のことに対する注意が薄くなるり、周囲に気を配ることを怠りがちです。

一方で、街中で素晴らしいなと思う方に出会うこともあります。
方向転換するときに、後ろを振り向いて近づく人を確認してから、曲がったりする方もいらっしゃいます。
なかなか真似はできませんが、街中では、周囲に注意した行動をとるべきだと思うのです。

短い結論の適用範囲を考える

街中での行動について述べましたが、社会事象などに対する視点も、短いフレーズのみに反応し、その理由や背景事情に意識が向いていない気がします。

ニュースのまとめサイトなどでは、短いフレーズで記事がまとめられています。
短くまとめる能力は、本当にすごいと思います。
気になるのは、短いフレーズで語られていることが、物事のすべてであるかのようにとらえてしまうことです。
「〇〇さんが、△△と言った」という記事の場合、「言った」ということが事実であるとしても、どういう場面で、どういう文脈の話の中での発言かは分かりません。

例えば、新型コロナウイルスのマスク着用についても、マスクを着用しなければならない、またはしなくてもよい、という結論ばかりが取り上げられます。
しかし、どのような状況を想定しているかに注意を払わないと、発言者の意図を曲解してしまいます。

「マスクを着用しなければならない」理由として、「大きな飛沫を防げる」ことが挙げられたとします。
この場合、「大きな飛沫が飛ぶ範囲に人がいる場合」には、マスクの着用が必要であるという発言であると考えられます。
しかし、「大きな飛沫が飛ぶ範囲に人がいない場合」については、何も言っていません。
そこで、この発言の適用範囲は、「大きな飛沫が飛ぶ範囲に人がいる場合」に限定されると思います。

一方で、「マスクを着用しなくてよい」理由として、「熱中症のおそれがある」ことが挙げられることもあります。
この場合、「熱中症のおそれがある場合」には、マスクの着用が不要であるという発言にすぎません。
「熱中症のおそれがない場合」については、発言者の意見はあるにしても、表面上は示されていません。

マスク着用に関する上記の2つの発言は矛盾しませんので、同じ人が同じ考えの下、発言している可能性があることには注意が必要です。

特にテレビ報道などでは、短時間で発言しなければなりませんので、結論のみが示されることが多いと思います。
そして、結論のみを聞いて、それがすべてであると判断すると、発言者の意図を曲解してしまうことも多くなります。
エネルギーが必要ではありますが、大切な内容については、発言の適用範囲を意識しながら話を聞くべきなのです。

意識する範囲を周辺に拡大しよう

街中での行動と、ものの見方について述べてきました。
2つの事項に関係があるかについてはっきりしたことは言えませんが、何となくつながりがあるように思えてなりません。

街中での行動も、今やっていることにばかり集中し、他のことに意識が向いていないのだと思います。
スマホを見る人は表示される内容に集中し、待ち合わせの人は待ち合わせにばかり集中しています。
そのため、周りにいる人に意識が向かないのです。

また、テレビ報道などについても、短い結論にしか意識が向かず理由には注目しないのです。
忙しく生活している方が多く、すぐに理解して先へ進みたいのではないかと想像します。

目の前の大事なことに注目することは大切ですし、そこにばかり意識が向くことは仕方ありません。
しかし、注目していることの周辺事情についても意識するべきだと思うのです。
街中での行動と、発言の理解の仕方という別々の観点から、少し考えてみました。