「当たり前」は、本当にしなければならないことか?
世の中では「当たり前」とされていることが、多くあります。
学校を休んではいけないと教えられ、1日も休まないで通うと、皆勤賞がもらえます。
また、体調が悪くても会社は休んではいけないとされ、趣味のために仕事を休むことなど考えられない、という空気が会社にはあります。
「当たり前」とされていることは、言い訳せずに、何でもやらなければならないのでしょうか。
嫌なことはやらなかった学生時代
登園拒否児
思えば、小学校入学前から、保育園に通うのが嫌で、朝は遅刻し、昼に早退するという生活をしていました。
保育園が好きでたまらない様子の友人もいましたが、私はそうではありませんでした。
家族は、保育園の先生に呼び出され、小さな椅子に座らされて注意されたにもかかわらず、私の好きにさせてくれました。
本当に有難いことだったと、大きくなってから感じました。
無理に保育園に通わされて、行かないことを家族から責められていたならば、自分の居場所がなくなってしまい、どうなっていたか分かりません。
子どもですから、自分の言葉で理由を説明できなかったにもかかわらず、受け入れてくれて、本当によかったです。
成長するとできることもある
さすがに、小学校に入ると、遅刻や早退ばかりということはなくなり、1学期に数日、風邪で休むくらいになりました。
そして、中学校に入ると、ケガで長期欠席をしなければならなくなるまでは皆勤でした。
きっと保育園生の私には無理であったことが、小学生や中学生の私にはできるようになっていたのでしょう。
成長に伴い、できることは変わってきます。
中学校の部活はさぼってばかり
授業は休まなくなったものの、部活は休んでいました。
平日の朝練と放課後の練習には参加していたものの、週末の練習には行く気になりませんでした。
呼び出しの電話が自宅にかかってきても、行くことはありませんでした。
それにもかかわらず、月曜日の朝練には行くのですから、どういう心理状況だったのかは今となっては分かりません。
また、さぼっていたのに、よくレギュラーにしてもらえたものだと思います。
家族もどう思っていたかは分かりませんが、叱られることはありませんでした。
研究、仕事には支障なく取り組む
そんな生活を送っていましたが、田舎から東京の大学に入り、博士号も取得できました。
また、経営コンサルタントとしてグローバルに働いたり、創薬系ベンチャーの経営に参画したりもしています。
嫌なことを無理にしなくても、自分のやりたいことに向かえば、道は開けていると思うのです。
学生時代に無理をしていたら・・・
もしも、無理やり保育園に行ったり、部活に参加させられていたらどうなっていたかと考えると、ゾッとします。
家族がゆるしてくれなかったら、自宅にも居場所はなくなっていたでしょう。
嫌なことを無理にやっているのですから、精神的にも参ってしまい、何に対しても気力が湧かなくなってしまったかもしれません。
そして、興味のあることを学んだり、好きな仕事をしたりして、充実感を味わえなかったと思います。
「当たり前」とされていることをしなくて、本当によかったと思います。
私の学生時代の逃亡について書いてきました。
自分で書いていてなんですが、他人事としてみると「何ていい加減なんだ」と思います。
しかし、無理をしなかったからこそ、今の自分があるのだと思います。
何でもかんでも、やらないで逃げることがいいとは思いません。
我慢することにより、得られることもあります。
しかし、これを続けていたならば自分が壊れてしまうと感じたならば、自分を大切にして逃げるべきです。
離れることによって、達成できなくなることもありますし、(少なくとも一時的に)閉ざされる道もあります。
しかし、自分を壊すよりは圧倒的にましであり、離れることはとても大切です。
願わくは、周りの方々も、本人の選択を尊重してもらえますとありがたいです。
社会人生活でも無理はよくない
同じことは、学生時代だけでなく、社会人になってからもあります。
社会人になると、子どもの時のように、すぐにその場を離れられないことも多くなります。
どうしても合わない同僚がいたり、いじめられたりしている場合には、信頼できる上司に相談して、転属願いを出すことも必要です。
可能な範囲できちんと手続きを踏むことは大切ですが、相談している余裕がない場合には、急いで会社を離れて自分を守るべきです。
社会人になると経済的な問題が大きくなってきますので、学生時代のようにすぐにやめることが難しい場合も多々あります。
しかし、家族や友人を頼ることにより、自分を守ることは最優先です。
いいたとえかは分かりませんが、壊れそうな建物を考えてみます。
部分的に壊れただけで倒壊の心配がないなら、一旦修理を試みてもよいかもしれません。
しかし、今にも倒れそうなら、修理を考える前に、まず建物から逃げなければならないのです。
私自身の経験ですが、無意識に無理をしない生活をした時の方が、有意義な日々を送れています。
大学院で研究をしている時にも、ストレスがたまって実験が続けられないと思った場合には、研究を後回しにして趣味の時間を取りました。
社会人になってからも、仕事量が多く睡眠時間も確保できず、趣味に取り組めない時は、精神面も含め体調不良でした。
しかし、趣味のために休暇をとる生活にしてからは、健康状態もよく、仕事も趣味も充実している気がします。
「当たり前」という言葉に惑わされず、自分を守る
もちろん、置かれている環境により、できることとできないことはあると思います。
また、私の例は、たまたま運が良かったのかもしれません。
しかし、「当たり前」という言葉に惑わされず、自分を守ることは大切です。
表題に掲げた「自尊的逃亡」を頭の片隅に置き、自分を壊さない、人生を台無しにしないことを考えてみてはいかがでしょうか。
都内国立大学で、微生物や植物細胞を用いた研究を行った後、がん遺伝子やレトロウイルスの研究を行い、博士(医学)を取得しました。会社員生活を経た後、実定法から基礎法まで幅広く学び、法務博士(専門職)を取得しました。
大学院修了後には、戦略系経営コンサルティングファームに入社し、製造業やサービス業の、業務改革や新規事業開発に取り組みました。その後、創薬系バイオベンチャーで、がん治療に関する研究開発・事業開発を行いました。現在は、訴訟関連の法務サービスに従事しています。