肩書に委縮
大学教授や官僚、医師や弁護士と聞くと、自分とは関係のない雲の上の存在と感じてしまう方がいます。
しかし、それは肩書の魔力の影響を受けてしまっているのだと思います。
博士論文執筆経験 ~努力を継続することが一番大事~
例えば、大学教授の多くは博士号を取得しています(特に理系はそうです。)。
私も自分が博士号を取得するまでは、博士号を取るには特別な能力が必要であるかのように思っておりました。
しかし、博士号取得のために研究し、英語で博士論文を執筆してみると、努力と時間は必要であったものの、特別な能力は必要ではなかったと感じています。
研究を開始すると、英語で書かれた論文を読む機会が増えます。
英語があまり得意でない私は、辞書を引きながら読み、内容の理解に努めました。
最初はとても時間がかかりましたが、読み続けているうちに、だんだんと読む速度も上がってきました。
優しい先輩に恵まれ、1報の論文を実験の合間の時間だけで読み、論文の内容を説明する勉強会を毎日のように行うこともできるようになりました(2人で行いましたので、2日に1報、4~10ページの英語論文を読みました。)。
それは、
(1)研究分野でよく使われる単語や言い回しを覚えてきたことや、
(2)英語への心理的抵抗が小さくなったことが、原因ではないかと思います。
読むことには慣れてきたものの、次に、英語での論文執筆という壁が立ち塞がりました。
最初は1つの文を書くこともなかなかできず、1つの段落を書き上げるのは大変でした。
しかし、とにかく書き続けるうちに、論文1報分の分量になりました。
苦労して書いたものも、指導教授のところに持っていくと、真っ赤になって返ってきて、ほとんどすべてが書き直しとなりました。
書き直しを繰り返しているうちに、指導教授の修正も少なくなり、投稿した論文が雑誌に掲載されました。
1報目の苦労を経て、2報目、3報目は、だんだん楽に書けるようになり、まとめたものが博士論文になった次第です。
自分には無理だと思っていた論文執筆を経験してみると、特別な才能よりも、地道に努力を続けることが大切であったと感じます。
努力を続けることも才能と言えば才能かもしれませんが、人並み外れた能力は必要ありませんでした。
成し遂げている人が多いことには挑戦
多くの人が、博士号を取得しています。
世界で1人や2人しかいないという特殊な世界を除けば、普通の人が努力を続けることにより、成し遂げられることは多いと思います。
私の友人には、官僚も弁護士も医師もおりますが、専門知識の深さと頭の回転の速さを感じることはありますが、引け目を感じることはありません。
特に、専門以外の会話をしていると、ごく普通の人たちだと感じます。
もっとも、人には向き不向きがどうしてもあります。
分野ごとの思考方法にどうしても馴染めなかったり、用語が頭に入ってこなかったり、全く興味が湧かない分野もあります。
全く馴染めなかったり、興味が湧かない場合には、無理をする必要はありません。
私の限られた経験からではありますが、肩書だけを見て引け目を感じる必要はないと思います。
多くのものは、努力の継続により身に着けられるからです。
委縮するよりも、興味があればチャレンジしてはいかがでしょうか。
都内国立大学で、微生物や植物細胞を用いた研究を行った後、がん遺伝子やレトロウイルスの研究を行い、博士(医学)を取得しました。会社員生活を経た後、実定法から基礎法まで幅広く学び、法務博士(専門職)を取得しました。
大学院修了後には、戦略系経営コンサルティングファームに入社し、製造業やサービス業の、業務改革や新規事業開発に取り組みました。その後、創薬系バイオベンチャーで、がん治療に関する研究開発・事業開発を行いました。現在は、訴訟関連の法務サービスに従事しています。