間違いを恐れる
仕事でも、私生活の雑談でも、「間違ったことを言ってはいけない。」という恐れを抱きながら過ごしていることに、ふと気付きました。
ニュースで見聞きしたことや本で読んだこと、自分で考えたことを発言しようと思っても、正しいかはっきりしないときには、発言をためらってしまうのです。
あまりにもいい加減なことを言ったり、間違っていることを知りながら発言することは好ましくないと思います。
しかし、多様な選択肢があったり、いろいろな考え方ができることにおいても、結果として誤りとなることを恐れている気がするのです。
恐れへの対処
批判を恐れて萎縮
このように行動をしてしまう理由には、間違えると、事後に批判されることを恐れて委縮してしまうのだと思います。
自分の思考を振り返ってみても、「あの時の○○さんの言ったことは間違っていたよね。思った通りだ。」と考えてしまうことがあります。
そのときに、相手の発言内容が、
(1)答えが定まっているのに間違えたことと
(2-1)答えが定まっておらず議論があることや、
(2-2)定まった答えが性質上もともとないことについて、結果的に間違いだったこと、
との区別はできていない気がします。
すると、さまざまな可能性がある場合に間違えても、批判されることが十分に想定され、自分の考えに確信が持てない限り、発言をためらってしまいます。
結果的な誤りは批判しない
なかなか難しいことですが、事後的に誤りが分かったことについて、批判しないことが大切なのではないかと思います。
人間は感情がありますから、「違う!」と分かったときに、怒りに似た感情は沸いてきますし、大切な内容であればあれほど、感情は強くなります。
ただ、結果として誤った場合にも、発言時点で、
(1)答えが分かっていたのか、
(2)答えが分かっていなかったのか、
そして、(2)の場合、発言時点に得られた情報で、
(A)成り立ちえた考え方か、
(B)成り立ちえなかった考え方か、
を検討してみることも必要でしょう。
誤りと知りながらうそをついたり、不注意でいい加減なことを言ったり、そもそも成り立たない考えを示したなら、注意を促すこともあり得ると思います。
しかし、成り立ちえることを発言し、結果的に誤りだったことの批判は控えるように心掛けることも必要です。
正解が分からないことも多い
ただ、注意が必要なのは、誤りか否かがはっきりしないことが多いことです。
テレビ報道の多数派が言っていることが正しいとばかりは言えません。
また、正しいことだからといって、多くの人が理解できるとは限りませんし、議論の内容を自分が正しく理解しているとは限りません。
そう考えると、相手の発言の是非を論じるよりも、良かれと思って言ってくれているんだと感謝し、むやみに揚げ足を取るべきではないと思います。
場合によっては予防線を張る
過剰な対応かもしれませんが、「現時点の情報に基づく考えで、間違っているかもしれない」と予防線を張り、答えが分からないという認識を共有することが必要かもしれません。
多くのシチュエーションでは、わざわざ言わなくても分かりますので、必要な場合は少ないと思います。
しかし、重大な結果を引き起こしえる場合には、念のため言った方が無難かもしれません。
もっとも、普段の気楽な会話ではやりすぎですので、注意は必要です。
間違えたら潔く修正
一定の注意を払っても間違ったなら、誤りを認めて修正すればよいと思います。
単なる雑談でしたら、聞いている側が忘れてしまっており、修正する必要がないことも多いでしょう。
誤りを修正しようとしたときに、「そんな話、聞いたっけ?」という表情をされることもよくあります。
そもそも、すべてのことを知ることは不可能ですし、正しいことも変化するのですから、完全には防げないのです。
減点だけの試験の影響
どうして間違えることを恐れてしまうのか考えてみると、小さい時から100点満点から減点される試験を受けてきていることが一因ではないかと思います。
答えがすべて正解の場合に100点となり、間違うと減点されます。
一方、どんなに素晴らしい解答でも、100点で打ち止めになり、150点になることはありません。
すると、より良い解答を導くことに意識は向かず、ひたすら減点されないように意識してしまうのです。
単純な問題(掛け算九九など)や、答えが一義的に定まる分野の問題ではよいのでしょう。
しかし、多様な考え方があり、深く考察できるものについては、自由な発想が阻害されてしまうため、減点主義は好ましくありません。
出題者の想定した範囲を超える解答には点数が付かないことから、出題者に伝わらない可能性がある解答をしなくなり、思考が硬直化してしまいます。
もっとも、試験は試験と割り切り、オリジナルな考えは試験以外の場で示せばよいと考えるのも一案です。
自由な発想を評価する社会へ
個人的には、誤りが含まれていたとしても、自分には思いつかない「ぶっとんだ」アイデアは好きです。
聞いた瞬間には面食らいますが、落ち着いて考えてみると面白くなってきます。
もっとも、自分に余裕がないときには、面白がってばかりはいられませんが・・・。
程度の問題ではありますが、与えられた「正解」にばかりとらわれず、自由に発想することの価値を認識することも大切ではないでしょうか。
都内国立大学で、微生物や植物細胞を用いた研究を行った後、がん遺伝子やレトロウイルスの研究を行い、博士(医学)を取得しました。会社員生活を経た後、実定法から基礎法まで幅広く学び、法務博士(専門職)を取得しました。
大学院修了後には、戦略系経営コンサルティングファームに入社し、製造業やサービス業の、業務改革や新規事業開発に取り組みました。その後、創薬系バイオベンチャーで、がん治療に関する研究開発・事業開発を行いました。現在は、訴訟関連の法務サービスに従事しています。