「感情」への配慮と「知見」の尊重~新型コロナウイルスへの恐怖~

頭では分かっていても、感情が着いてこない

日々生活をしていると、「頭では分かっているんだけど、感情が着いてこない」と感じることがあります。
「感情」は人生を豊かにしてくれますが、時として厄介だなと思うこともあります。

「早く寝なさい」に納得しなかった子ども時代

子どもの時夜遅くまで起きていると、「早く寝なさい!」と言われることがよくありました。
確かに、翌日に学校があることを考えると、早く寝て翌日の授業中に眠くならないようにした方がよいことは分かりました。
しかし、「そろそろ寝ようと思っていた。」と答えながら、嫌々布団に入っていたものです。
もっとも、感情は納得しなかったため、布団に入ってもイライラしていて、なかなか寝付けないことも多々ありました。

大人になっても、満員電車に乗れないと不満

大人になってからも、感情的に納得できないことはあります。
通勤電車に乗ろうとして待っていたのに、やっと来た電車が混んでいて乗れず、次の電車を待たなければならないことがあります。
電車が混む時間帯であることも分かっていますし、電車に乗れる人数には限界がありますので、乗れないことは十分に想定できます。
また、目の前の満員電車にはスペースがなく乗れないことも分かります。
頭で考えれば仕方がないと諦められるはずです。
しかし、感情的には納得できません。

感情が高ぶっても周りの人に迷惑をかけない

人間なのですから、イライラ感を抱えることは自然です。
不満に対処し、深呼吸などでできるだけ心を落ち着かせることはとても大切です。
そして、周りの人に感情をぶつけたり、イライラを行動に移し、周りの人に迷惑をかけてはいけません。
自分のイライラが高まるだけでなく、周りの人をもイライラさせてしまい、不満をまき散らしてしまいます。

新型コロナウイルスに関連して抱く感情

新型コロナウイルスを怖いと思う感情

新型コロナウイルス感染症が拡大し、その危険性を意識することが増えてきました。
その中で、テレビ報道について職場で話していると、少し怖がりすぎなのではないかと感じることもありました。
人が触れたか否かにかかわらず頻繁にアルコールで拭いていたり、誰もいない場所でもマスクをずっと着けていたり、ということが見受けられたのです。
誰もいない場所で、「接触感染」も「飛沫感染」も起こる可能性はほとんどないのですから、そこまで神経質にならなくてよいと思ったからです。

しかし、リモート勤務になり自宅で過ごすことが多くなると、怖がる気持ちが分かるようになってきました。
休憩時にテレビをつけると、新型コロナウイルスの危険性のニュースが流れているのです。
報道を聞き続けて数日がたつと、マンションのエレベーターボタンを押すことさえ怖くなり、人に近づくことすら出来なくなりました。

頭で考えて行動していたつもりでしたが、感情の要請には逆らえなくなったのです。
これを心理学的には「ネガティブ・バイアス」といい、人間はネガティブ情報の方が印象に残り、重視してしまうそうです。
また、目に見えないもの、よく分からないことには、過剰に恐れてしまうのが人間だと思います。
自分の経験を通して、職場で気を付けていた人たちの気持ちがやっと分かったのです。

マスクなしで歩いてもよいという感情

一方で、街中でマスクをしていない人を見かけると、「何でマスクをしないのかなあ。」と批判的な感情を抱くこともあります。
マスク着用が大切とずっと言われているのですから、着用していない人を不思議に感じるのは仕方がありません。
しかし、気温が上がり暑い日に、屋外でマスクをすると息苦しく熱中症の危険を感じて、外したくなる気持ちも分かります。
また、ソーシャル・ディスタンスをとっているならば、感染リスクはほぼないという科学的知見に基づいているのだから問題ない、という気持ちの人もいるでしょう。
マスクをする気持ちも、しない気持ちも、理解できますので、相手を批判しても仕方ありません。

知識に基づく行動、感情に基づく行動、両方を理解するように努める

知識や経験があると、それにとらわれてしまい、知見に反した行動をする人を理解できないと感じることもあります。
しかし、人間には感情があり、知識や経験に従って行動できないことがあることにも配慮する必要があるのではないでしょうか。
一方で、感情にとらわれるだけでなく、既存の知見を踏まえて行動することも必要であり、感情にばかり流されてもいけません。
知識と感情の両方があるのが人間であることを意識し、お互いを理解するように努めることは、とても大切だと思います。