テレビで見かける「専門家」
「専門家」の響き
テレビを見ていますと、多くの「専門家」が解説しています。
「専門家が言っているのだから」と正しく感じ、解説をそのまま受け入れてしまいます。
しかし、「専門家」と聞いて思い浮かべるよりも、「専門」の範囲は狭いのです。
また、「専門家」(仮に100とします。)と非「専門家」(仮に0とします。)に分けられる訳ではなく、専門度合いは段階的(0~100のいずれか。)であることにも、注意が必要です。
社会生活から想像
一般社会を想像してみると分かりやすいと思います。
例えば、証券会社に勤務しているからといって、どんな金融商品にも詳しいとは限りません。
自動車会社に勤めているからといって、エンジンにもタイヤにも詳しい人はなかなかいないでしょう。
また、人事や総務に携わっている人もいらっしゃいますので、会社名だけで詳しいと即断することはできません。
会社勤めではなく、家事をなさる方もいらっしゃいます。
料理や洗濯から、何から何まで細かくご存じとは限らないのではないでしょうか。
「専門」の狭さ ~ウイルスの例~
医学の研究領域は広い
医学研究を大きく分けると、基礎医学1と臨床医学2があります。
基礎医学は、人体の構造や疾患の原因などを研究する分野で、医師だけでなく、医師以外の研究者も多く携わっています。
病気の原因遺伝子の解析や、免疫制御機構、ウイルスの構造や人体への感染経路の分析を行います。
臨床医学は、病気の診断や治療など患者さんに直接接する分野で、医師などの有資格者でなければできません。
患者さんの病状観察や、治療法や薬剤投与効果の分析を行います。
基礎医学と臨床医学はオーバーラップする領域もありますが、細かい部分まで実感を持ってフォローすることは、簡単ではありません。
基礎医学に関わったからといって、基礎医学の範囲も広く、研究のすべてをフォローすることは不可能です。
レトロウイルス研究経験
私は以前、レトロウイルス3の研究をしており、博士号を取得しました。
ちょっと専門的になりますが、レトロウイルスは、一本鎖プラス鎖RNA4ウイルス5に分類されます。
ちなみに、人間の遺伝情報は、二本鎖DNA6にコードされています。
このように記載しますと、「ウイルスの専門家」のように見え、ウイルスなら何でもでも良く分かっている、との印象を持つ人もいらっしゃるでしょう。
そして、社会不安を引き起こしている新型コロナウイルスにも詳しい、と思われるかもしれません。
しかし、私はコロナウイルス7については全くの素人です。
コロナウイルスもレトロウイルスと同じ一本鎖プラス鎖RNAウイルスに分類されます(ウイルスゲノムからたんぱく質に翻訳されるプロセスは異なります。)。
ウイルス分類が同じならば、同じようなものと思われるかもしれませんが、残念ながら、コロナウイルスについては知らないことばかりなのです。
もちろん、ウイルス研究経験から、ウイルス一般で共通することは理解でき、一般の方よりも想像できる範囲は広いと思います。
しかし、コロナウイルスに特徴的なことは全く分かりません。
言い換えますと、ウイルス一般の議論については「専門家」となり得ても、新型コロナウイルスについては「素人」となります。
議論する対象によって、「専門家」になったり「素人」になったりするのです。
コロナウイルスとインフルエンザウイルスは違う
私たちになじみのあるウイルスには、インフルエンザウイルス8があります。
毎年冬になると、流行する型についての報道があることから、聞き覚えのある方がほとんどではないでしょうか。
ウイルス学的には、コロナウイルスとインフルエンザウイルスには大きな違いがあります。
コロナウイルスは、一本鎖プラス鎖RNAウイルスであるのに対し、インフルエンザウイルスは、一本鎖マイナス鎖RNAウイルス9です。
そして、感染経路なども異なり、類推できないことも多くなります。
例えば、インフルエンザウイルスは、子どもは、感染・発症しやすいとされています。
それに対し、新型コロナウイルスは、子どもは、感染・発症しくにいと言われています。
インフルエンザウイルスと新型コロナウイルスは、「ウイルス」であることは同じでも、違いが多く、「専門家」はそれぞれにいるのです。
ウイルスごとに専門家がいる
ついつい私たちは、「専門家」と聞くと、専門分野を広くとらえてしまい、何でも知っていると思いがちです。
しかし、研究の細分化が進んだ現代では、「専門」の範囲は意外と狭く、ウイルスごとに「専門家」がいます。
そして、「専門家」であればあるほど、自分の専門外には口をつぐむことが多くなります。
「専門家」であるかの判断は簡単ではない
近い専門領域の人への質問、プロフィール確認
厄介なのは、「専門家」か否かを見抜くことは、簡単ではないことです。
身近に、近い専門領域を有する人がいる場合には、尋ねてみるのがよいと思います。
もしも、質問する相手がいない場合には、ウェブサイトや著書などに記載されている「専門」を確認することが一つの手段です。
調べるときには、具体的な用語(例えば、「コロナウイルス」)が記載されているかを確認することが大切です。
「〇〇ウイルス」と書いてあるからといって、「専門家」と考えてはいけません。
英語論文検索
もしも余裕があれば、英語で発表された論文を検索してみることは有効です。
医学・生物学関係でしたら、”PubMed“で検索できます10。
ここで、論文が発見できれば「専門家」の可能性は高くなります。
筆頭著者(”first author”)でしたら、自ら実験をしていると思われますので、より細かいことまで分かるはずです。
また、有名教授などは、最終著者(”last author”)として記載されることが多く、研究の責任者であることを意味します。
実験を自ら行った訳ではありませんので、細かい内容は分からないでしょうが、概要は理解していると考えられます。
なお、責任者は、”corresponding author”として示されることも多く、筆頭著者を兼ねる場合もあります。
もっとも、検索用語選択の関係で、適切な検索ができていない可能性がありますので、論文がないからといって、「専門家」ではないとは言えないことに、注意が必要です。
「専門家」がいない分野もある
また、「専門家」がいない分野である場合、近接する領域の研究者がコメントをしなければならないこともあります。
新型コロナウイルスについて考えると、日本でコロナウイルスを研究している人はあまりいないと思われますので、ウイルスに詳しい人が「専門家」としてコメントすることはやむを得ないと思います。
また、臨床に携わる医療従事者の皆さまのご経験はとても貴重です。
非「専門家」の鋭い指摘
別分野の視点は大切
「専門家」について書いてきましたが、「専門家」でなければ発言してはならないという訳ではありません。
「専門家」になると、専門分野での思考方法に慣れてしまい、偏った考えになりがちです。
考えが偏っていることは、同じ分野の研究者との議論などで気付くことはなかなかできません。
「別分野の専門家」から提示される視点、ものの見方は新鮮であり、目を開かせられることがよくあります。
「別分野の専門家」からすると、当たり前のことでも、他の分野からすると当たり前ではないのです。
素朴な疑問も議論を深める
特別な専門のない方の、素朴な疑問が議論を深めることもよくあります。
さまざまな情報を、その人なりの視点でまとめ、考えてみると、「専門家」が気付かないことを発見できるかもしれません。
むしろ、先入観がない分、面白いことに気付く可能性は高くなります。
余談ですが、専門を深く追究していると、一般人が知っていることを知らないということもあり得ます。
すると、一般的な事柄は「専門家」よりも正しい考えを有しているかもしれません。
「専門性」を吟味し、無防備に信じない
ウイルス以外の専門家も必要
ここまで、ウイルスの専門家について述べてきましたが、新型コロナウイルスに関連では、感染者数の推移を分析する統計の専門家も重要ですし、公衆衛生の専門家も必要です。
統計については、市場予測などのマーケティング活動に関わる人たちが、実地での経験を積んでいることでしょう。
企業活動に関しては、どのように関与したかが分かりにくいことから、なかなか公表情報での専門性吟味は難しくなります。
一方で、公衆衛生関連は論文になっていることが多いと思われますので、公表情報を確認することは有益と思われます。
テーマに応じた「専門性」吟味
多くのことに詳しくなることはなかなか難しいと思いますが、発言テーマに応じて、「専門性」を吟味することも必要だと思います。
例えば、一般人でも同じ結論に達することはそのまま聞けばよいですが、命に関わったり、大きな行動制約を受ける場合には、吟味が必要なこともあります。
「専門家」か否かを判断するには、「専門」についてある程度の知識が必要であり、判断は簡単ではありませんが、少し意識するだけでも違います。
そうは言ったものの、私も実生活ではなかなか吟味していません。
先日も大きな地震が起こった後に、地震の「専門家」のコメントを、無批判に信じてしまい、正しいかどうかを考えることはしませんでした。
「専門家」の発言だからといって、何でもかんでも鵜呑みにする必要はありません。
テーマに応じて、できる範囲で構いませんから、正しさを吟味し、自分の頭で考えることはとても大切です。
都内国立大学で、微生物や植物細胞を用いた研究を行った後、がん遺伝子やレトロウイルスの研究を行い、博士(医学)を取得しました。会社員生活を経た後、実定法から基礎法まで幅広く学び、法務博士(専門職)を取得しました。
大学院修了後には、戦略系経営コンサルティングファームに入社し、製造業やサービス業の、業務改革や新規事業開発に取り組みました。その後、創薬系バイオベンチャーで、がん治療に関する研究開発・事業開発を行いました。現在は、訴訟関連の法務サービスに従事しています。
- 解剖学、病理学、微生物学、免疫学、など[↩]
- 内科学、外科学、など[↩]
- プラス鎖RNAを鋳型にし、マイナス鎖DNAが逆転写酵素により合成される。合成されたマイナス鎖DNAを鋳型にし、プラス鎖DNAが合成される。二本鎖DNAが宿主細胞ゲノムに組み込まれ、ウイルスたんぱく質が合成される。[↩]
- リボ核酸[↩]
- ウイルスゲノムが一本鎖プラス鎖RNA。[↩]
- デオキシリボ核酸[↩]
- プラス鎖RNAが伝令RNAとして機能し、ウイルスたんぱく質が合成される。[↩]
- マイナス鎖RNAから相補的なRNAが合成される。相補的RNAが伝令RNAとして機能し、ウイルスたんぱく質が合成される。[↩]
- ウイルスゲノムが一本鎖マイナス鎖RNA。[↩]
- ”National Center for Biotechnology Information”サイト内にあります。著者名と具体的な用語(例えば、”coronavirus” や “Covid-19”)を入力して検索できます。[↩]