背伸びして難しい専門書を読む楽しみ~「物理講義」を読んだ小学生~

小学生時代のちょっと背伸びした読書 ~湯川秀樹著「物理講義」~

小学生時代の、ちょっと背伸びした読書経験を記してみたいと思います。
その本は、日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の「物理講義」(講談社学術文庫)でした。

「物理講義」は、日本全国の物理学専攻の大学院生に向けて行われた講義の採録です。
なぜか、小学校2年生か3年生の私が、「物理講義」を読んだのです。
「物理講義」を知ったきっかけは、父が買ってきてくれた「湯川秀樹が考えたこと」(佐藤文隆著、岩波ジュニア新書)でした。
確かな記憶ではありませんが、巻末に湯川博士の著作がいくつか載っており、リストにある本を父にねだって買ってもらったような気がします。
その中の1冊が、「物理講義」でした。

物理学専攻大学院生向けの講義 ~理解できなくても最後まで読めた~

内容は、物理学を専攻する大学院生向けですから、小学生の私がすべてを理解することは不可能でした。
物理学の数式もあったと思いますので、算数しか習っていない私が理解できないのは当然です。
しかし、文章が平易だったこともあり、物理学が捉えている世界観は、子供ながらに分かった気がします。
言葉を頭で理解すると同時に、心でも感じ取った気がします。
なかでも、ノーベル賞の受賞理由となった「中間子論」には、大きな興味を覚えました。

子ども時代だからこそ読み通せた

先日、書店で「物理講義」を久しぶりに手に取ってみました。
しかし、数ページ読んだだけで、読むのをやめてしまいました。
大学の教養学部レベルまでしか物理学を学んでいないため、理解が難しかったからです。

なぜ、小学生時代には、よく分からない本を読み進められたのでしょうか。
子ども時代には理由のない自信があり、恐れを知らないことが、1つの理由ではないかと思います。
大人になると、大小はあるにせよ、うまく行かなかった経験をしており、できないかもしれないという恐れを持ちます。
そして、分からないものに接すると、早い段階で諦めてしまいがちです。
しかし、子ども時代には恐れがないため、最後まで読めたのではないかと思います。

また、頭で理解することだけにとらわれず、心で感じることが出来たことも一因ではないかと思います。
数式は分からないにしても、前後の文章を感覚的にとらえ、イメージとしてつかんでいた気がします。
年齢を重ねるにつれ、理屈で考えることに慣れてしまい、感覚的な何となくの理解を曖昧に感じ、抵抗を感じるようになってきました。
しかし、子ども時代には、感覚的に理解する能力があったため、読み進められたような気がします。

芋づる式に視野が広がる

私の少ない経験を通してではありますが、小学生時代、中学生時代に、ちょっと背伸びした専門書を読んでみることは貴重な経験になるのではなります。
すべての内容は分からないとしても、分かる(分かった気になる)部分はあり、それがものを考える材料になるのではないでしょうか。
物質をどんどん小さくしていった素粒子の世界を小学生時代に知れたことは、私のその後の人生に大きな影響を与えていると思います。

ちなみに、湯川博士の自伝である「旅人 ある物理学者の回想」(角川ソフィア文庫)も印象に残っています。
古代中国思想である「荘子」が湯川博士の発想に関わっていたことが書かれており、中国の古典に興味を持つきっかけとなりました。
私は、大学進学時や専門課程進学時に、理系に進むか文系に進むか、かなり悩みました。
きっと、小学生の時の読書が、学問分野にとらわれずに広く学ぼうという意欲を生みましたのだと思います。
結局、物理学にも進まず、中国哲学にも進みませんでしたが、これらの本に出会えたことは、私の人生を豊かにしてくれています。

話すときには注意も必要

最後にちょっとだけ注意点を書いておきます。
子どもが読まないような本の知識を当たり前のように話しすぎると、他の人との会話にズレが生じることがあります。
本の種類にもよりますが、専門的な内容をみんなが知っている訳ではないからです。
ついつい、自分が知っていることは他の人が知っていると思いがちですが、そうではないのであり、配慮することも必要です。